安堂遺跡出土木簡を市指定文化財に 柏原市文化財保護審議会が答申

2015年1月20日

 柏原市文化財保護審議会(会長・塚口義信堺女子短期大学名誉学長名誉教授、7人)は、1月16日、同市安堂遺跡出土の木簡を同市の指定文化財に指定するよう答申した。今後、所定の手続きを経て、正式に指定される見通し。

 今回、同審議会が答申した安堂遺跡出土木簡は、昭和60年(1985)12月から昭和61年(1986)2月のマンション建設に先立つ同市教育委員会の緊急発掘調査で出土した木簡、長さ約26センチ×幅約1.8センチのものなど計6点。「稲六十束」「塩三斗」「飯万呂」「近江国浅井郡田根郷」「天平十八年九月」などの墨書があり、天平18年(746)ごろ、税として平城京に運ばれた荷に付けられていたものだと考えられる。地方遺跡出土の遺物としては極めて例が少なく貴重な資料。出土地が、奈良時代に孝謙天皇らが参拝したとの記録がある寺院・知識寺跡の南側隣接地で、聖武天皇や孝謙天皇時代の仏教政策などを考えるうえでも重要な歴史資料であることから、このほどの答申となった。天平12年(740)に聖武天皇が、天平勝宝元年(749)に孝謙天皇らが智識寺に参拝している。

 同市の指定文化財は、縄文絵画土器(平成26年5月指定)や旧大阪鉄道亀の瀬トンネル(平成25年2月指定)などに続いて、今回で12件目。

【木簡】 文字を書くための木の板で、形は一般に短冊状。文書木簡、付札、その他に分類される。わが国では、7世紀半ばごろから使用され始めたとみられ、当時貴重だった紙の代わりに簡単な文書などを書くのに使用されたと考えられる。使用のピークは8世紀ごろ。文書木簡は10世紀以後には見られなくなるが、付札(荷札など)はその後も長く使用された。キーホルダーとして使用する木札(鍵の使用先を書いた札)も、いわば「木簡」である。

【安堂遺跡】 縄文時代から室町時代ごろの遺跡。主として、奈良時代の寺院跡や集落跡などが確認されている。

安堂木簡

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