文化財コラム

2015年5月8日 (文化財課)

文化財発掘調査と行旅死亡人取扱法(2015/5/8)

 文化財の発掘調査で、たとえば縄文時代や弥生時代の人骨が出土したら、どうなるのだろう。当然、文化財保護法(昭和25年法律第214号)など関係法令の規定に基づき、適正に処理する、ということになるだろう。続きを読む

 

幕末の海防・長州征伐と国分村年寄西尾家(2015/3/28)

 江戸時代も後半になると、大名や旗本は困窮し、領内の村々に上納金を命じたり、大坂や堺の商人から借金をしたりしました。また、大名や旗本の名義では商人がお金を貸してくれなくなると、村々の名義で借金をする有様でした。続きを読む

 

源平合戦以来の又兵衛の手柄(2015/3/28)

  大坂夏の陣において柏原市域でおこなわれた小松山の戦い、その駆け引きは、慶長二十年(一六一五)五月五日に始まりました。『大坂御陣覚書』によると、河内と大和の国境に位置する亀の瀬を背にして戦おうとする豊臣方に対して、徳川方は既に国分に到着しており、徳川方が先手を取る形となりました。続きを読む

 

小松山の戦いで散った後藤又兵衛の名は?(2015/3/13)

 大坂の陣のヒーローと言えば、なんと言っても「真田日本一の兵」と称えられた真田幸村でしょうか。しかし、「幸村」という名を生前に使用した事例は確認できず、「信繁」が正しいことが既に明らかにされています。続きを読む

 

旧陸軍戦闘機の部品発見?市立健康福祉センター建設に先立つ発掘調査で(2015/3/4)

 平成9年6月、柏原市立健康福祉センターの建設に先立つ大県南遺跡の発掘調査で、機械の部品らしき物がいくつか出土した。出土場所が、第2次世界大戦中に建設されたと見られる格納庫(掩体壕)の跡だったことから当時の戦闘機の部品ではないかと推定された。続きを読む

 

鉄砲は、どう構えたのか?横向きか?それとも正面向きか?(2015/3/2)

 今年、平成27年(2015)は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣から400周年にあたる。大坂夏の陣では、本市(柏原市)片山から玉手にかけての一帯が戦場となった。小松山の戦いである。続きを読む

 

大和川治水・殿中殺人事件(2015/2/27)

 「若年寄が大老を殿中で刺殺、犯人の若年寄も直後に老中らに斬殺される 原因は大和川の治水工事をめぐるトラブルか」
 このコラムで紹介する話は、貞享元年(1684)の殿中殺人事件=若年寄による大老刺殺事件に基づいた、一つの想像による物語である。モキュメンタリー、又は小説として、お楽しみいただければ幸いである。続きを読む

 

柏原市域に大きな被害 昭和11年(1936)の河内大和地震(2015/1/16)

 平成7年1月17日の阪神淡路大震災から20年、平成23年3月11日の東日本大震災・大津波から4年。大きな被害をもたらした大震災の傷跡は、まだまだ癒えることがない。地震は、一瞬にして全てを奪い去ってしまう。いつ起こるのか予測が困難なだけに、普段から備えを怠ることはできない。続きを読む

 

柏原市内の駅と鉄道の雑学(2015/1/6)

 柏原市内の駅と鉄道についての雑学を紹介しよう。いわゆるトリビア(trivia=くだらないこと、雑学知識)である。お楽しみいただければ幸いである。続きを読む

 

市内最古の公共下水道・田輪樋(たのわのひ)(2015/1/6)

 都市にかかせない施設の一つに公共下水道がある。公共下水道は、防災だけでなく環境保護のためにも大切な施設である。降った雨水を排除するための雨水用と家庭などから出る雑排水を排除するための汚水用があり、近年、いっそう整備が進み、柏原市内でも年々、その普及率が増大している。続きを読む

 

ごみと文化財 現代に活用させるべきもの(2014/12/3)

 ここに衝撃の事実がある。それは、 「文化財は、かつて、ごみとして捨てられた物である場合が少なくない」 ということだ。 ところで、「ごみ」とは何だろうか?続きを読む

 

「文化財」のリサイクル ~遺跡、出土物の再利用~(2014/11/18)

 使える物は何でも使う、使える限り繰り返し使う、これが、人々の日々の営みのうえでの、従来の基本的スタンスだったようだ。 土中や古墳から出土する遺物や、いや古墳そのものでさえも、長い歴史の間に遠慮なく再利用されてきた。続きを読む

 

ちょっと昔の生活 ~3Rなんて、あたりまえのころ~(2014/11/18)

  大量生産、大量消費、消費は美徳などといわれた時代を過ぎ、資源や環境に目を向ける日々がやってきている。世間では、盛んに3R、Reduce(リデュース=減量する)、Reuse(リユース=再使用する)、Recycle(リサイクル=再資源化する)が呼びかけられ、日常生活の中に定着しつつある。3Rは、まさに現代のトレンド(傾向、流行)だ。しかし、私たちの生活は、長い人類の歴史から見れば、つい最近まで3Rなんてあたりまえ、節約の時代だったのである。続きを読む

 

環境への意識は、江戸時代に始まった(2014/11/14)

「環境」というと、なんとなく最近の話題のような印象がある。柏原市でも平成22年3月に市役所本庁舎などを対象にISO14001環境マネジメントシステムの自己宣言を行うなど、環境への意識が高まっている。 しかし、「環境」に対する人々の意識が芽生えたのは、実は江戸時代初期のことだったのだ。続きを読む

 

地球温暖化と700年周期説(2014/11/14)

 地球温暖化が話題となって久しい。二酸化炭素が温暖化の原因との考え方を疑問視する意見もあるが、一応、二酸化炭素が温暖化の原因だと一般には考えられているようだ。その議論はさておき、ここでは、地球の気温変化に関する一つの見方、気温変化700年周期説について紹介したいと思う。続きを読む

 

「鳥取」のルーツは柏原市にあった(2014/11/5)

  「鳥取」といえば、現在では、当然「鳥取県」や「鳥取市」のことだ。しかし、その「鳥取」という地名のルーツは、実は現在の大阪府柏原市域にあったのだ。古事記と日本書紀(記紀)の垂仁天皇の条に次のような話が記されている。続きを読む

 

知られざる古戦場 石川と大和川との合流点付近(2014/10/30)

  奈良県から西に向かって流れ、大阪府に入る大和川。この大和川に南から北流してきた石川が、柏原市役所付近で合流している。石川と大和川との合流点付近のこのあたりは、古代から何度となく戦いの舞台となってきた。つまり、複数の戦いの「古戦場」なのである。このあたりは、地形上、大和から河内への出入り口にあたっている。したがって、この地が戦いの舞台となることは、いわば、必然だったと言えるかもしれない。続きを読む

 

リゾート地だった玉手山(2014/10/28)

  昭和5年(1930)8月、日本最初の週末リゾート、「コロニーハウス・土曜の家」が、大阪府南河内郡玉手村(現・柏原市玉手町など)にオープンした。コロニーハウス」とは、普段、自然に親しむ機会の少ない都市住民に、週末を利用して手軽に豊かな自然を楽しんでもらおうと建設された貸し別荘で、20世紀の初めごろドイツで建設された「ラウベン・コロニー(小屋の集落)」を始まりとする。続きを読む

 

郷土の教育者・柘植葛城と立教館(2014/10/16)

  文政13年(1830)、現在の柏原市国分に郷土の子弟教育のための学校・「立教館」が設立された。設立者は、国分出身の医師・柘植葛城(諱は常熈。通称は卓馬)という人物。設立当初は、明円寺(妙円寺)という寺の境内にあったようだが、その後、塾生(通学者)が増えて建物が手狭になったため、文久3年(1863)に新しく建て直されることになった。続きを読む

 

「松岳山」考 船氏の墓所はどこなのか?(2014/9/26)

  国宝・船氏王後墓誌(ふなしおうごぼし)というものがある。長さ29.7センチ×幅6.9センチ×厚さ0.1センチの銅板で、表裏両面に計162文字が刻 まれており、両面ともに金メッキの痕跡がある。昭和28年(1953)3月に、国宝に指定された。現在は、東京都中央区の三井記念美術館に収蔵されてい る。続きを読む

 

河内国分尼寺は何処に? 幻の河内国分尼寺(2014/9/26)

 天平13年(741)、聖武天皇の国分寺建立の詔(みことのり)により、全国に国分寺(僧寺)と国分尼寺(尼寺)が設置された。正式には、僧寺を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺という。続きを読む

 

柏原に住んだ陰陽師、弓削是雄(2014/9/12)

 陰陽師(おんみょうじ)といえば、安倍晴明(あべのせいめい)が有名だ。しかし、清明だけが陰陽師なのではない。賀茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)親子、保憲の子の光栄(みつよし)、清明のライバル蘆屋道満(あしやどうまん)などが知られる。そうした陰陽師の一人に弓削是雄(ゆげのこれお)という人がいた。続きを読む

 

関西本線敷設反対運動 ―路線変更、踏切増設願いー(2014/9/12)

 JR関西本線(大和路線)が、柏原市域西部の市街地をほぼ南北に縦断して通っている。このため、市内上市地区などは東西に分断された形だ。こうしたことから、この鉄道の敷設が計画された明治21年(1888)ごろ、路線の変更を願い出るなどの反対運動が起こっていた。続きを読む

 

奥州藤原氏は鳥取氏の子孫か 世界遺産に関わる? 鳥取氏(2014/9/12)

 柏原市高井田に史跡鳥坂寺跡(とさかでらあと)がある。鳥坂寺とは、8世紀ごろの歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記載されている古代寺院の一つで、当時、孝謙天皇らが参拝している。続きを読む

 

祭祀遺跡、高尾山(2014/8/29)

 柏原の市街地、たとえばJR柏原駅のあたりから東の方、生駒山系の山並みを眺めたとき、ひときわ高くそびえている山が目に入る。これが、高尾山(たかおやま)である。続きを読む

 

飛鳥時代の造成地 ブドウ畑の段々は飛鳥時代の集落跡(2014/8/29)

 柏原市は、ブドウの産地である。市の東部に位置する生駒山系の山々の、西向きや南向きの斜面などを利用して、明治17年(1884)ごろから、ブドウが栽培されてきた。昭和3年(1928)から昭和13年(1938)ごろにかけては、山梨県と並ぶブドウの一大産地だった。続きを読む

 

郷土・柏原の戦争ミステリー(2014/8/29)

 大和川に不発弾 米軍の12.7センチ艦砲弾発見 なぜ、こんなところに?、堅上駅近くの山中に海軍の地下秘密工場? 果たして真相は?、埋められた? 忠魂碑建設委員碑 GHQの追及を恐れる?続きを読む

 

柏原を訪れた国家元首(2014/8/22)

 これまで、柏原市には、公的私的な国際交流を通じ、さまざまな国からさまざまな人々が訪れている。しかし、国家元首クラスの方々が訪れたことは、そう多くはない。明治以降の郷土史の中でも、そうしたことは、これまでに、たった2回あるだけだ。続きを読む

 

ワインは、かつて軍需物資だった(2014/8/12)

 第2次世界大戦中、日本全国でワインが大増産された。ワインの醸造で得られる酒石酸(酒石酸カリウムナトリウム=ロッシェル塩)が、イヤホンやマイクなどの圧電素子として利用できたからだ。当時、通信機や聴音機の原材料として不可欠な軍需物資、それがワインだった。続きを読む

 

ヒトラーが堅下に!? ヒトラー・ユーゲントの来訪(2014/8/11)

 第2次世界大戦前、堅下にアドルフ・ヒトラーが来たことがある!? かつて、こんな誤解があった。 実際に来たのは、ヒトラー・ユーゲントの青少年たちである。続きを読む

 

青谷遺跡は、何の跡?(2014/8/9)

 柏原市青谷青少年運動広場のすぐ近くに巨大な建物跡が残されている一画がある。青谷遺跡である。奈良県から大阪府に流れ込んだ大和川が、芝山の山塊にぶつかって北に鋭く湾曲しているあたりだ。このあたりは、河内国大県郡鳥取郷に属し、かつて「鳥取千軒」と呼ばれていたという。続きを読む

 

安福寺横穴の騎馬人物線刻壁画は後世の落書きか?(2014/8/8)

 柏原市内には、史跡高井田横穴群や安福寺横穴群など古墳時代の横穴墓群が残されている。6世紀後半ごろから7世紀初頭にかけてのもので、同種の横穴墓群は、大阪府内では柏原市内にしかなく、大変貴重である。続きを読む

 

多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)-その数奇な運命-(2014/7/10)

 かつて、柏原市内で出土した文化財の中に多鈕細文鏡という鏡がある。弥生時代の青銅鏡で、直径は21.7センチある。背面、中心線から少し上に二つの鈕(ちゅう=つまみ)が左右に並んでおり、背面の全体が鋸歯文(きょしもん)と呼ばれる、のこぎりの歯のような形の細線文様で覆われている。続きを読む

 

真実の 大和川の付替え(2014/6/30)

宝永元年(1704)、続発する洪水被害をなくすため、それまで河内に入った後、北に向かって流れ淀川に合流していた大和川を、現在の柏原市役所付近から西に向かわせ、直接、堺の海に流れ込むよう流路を変更する大治水工事、大和川の付替え(川違え)が行われた。続きを読む

 

地すべりでの崩壊を免れた奇跡のトンネル(2014/6/30)

 JR関西本線の河内堅上駅~三郷駅間の大和川北岸、大阪府柏原市峠の、通称亀の瀬地区に旧大阪鉄道の亀の瀬隧道(ずいどう:トンネル)がある。 亀の瀬トンネルは、大阪と奈良を結ぶ最初の鉄道として大阪鉄道が敷設した関西本線のトンネンルで、明治25年(1892)に開通した。続きを読む

 

橋三題 幻の河内大橋・なぜ「国豊橋」なのか・リサイクル橋「新大和橋」(2014/6/27)

 河内大橋は、宝永元年(1704)に付け替えられる以前の旧大和川に、奈良時代(8世紀)ごろ架かっていたと考えられる橋。万葉集の高橋虫麻呂の歌に詠まれていることで知られる。 続きを読む

 

社会事業の実践者 武田慎治郎(2014/6/25)

 かつて、柏原市高井田に武田慎治郎という人がいた。 武田慎治郎は、明治元年(1868)福井県生まれ。警察官として曽根崎署長などを歴任した後、大正2年(1913)、大阪府立修徳館(現・「児童自立支援施設・大阪府立修徳学院」)の館長となった。 続きを読む

 

古代の“国道1号線”は柏原を通っていた !?(2014/6/24)

 「難波より京に至る大道」は、どこを通っていたのか? 「難波より京に至る大道」とは、推古天皇の時代に設置された官道である。古代の“国道1号線”ともいえるだろう。 続きを読む

 

宮沢賢治と柏原(2014/1/8)

 「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」などの童話、「雨ニモマケズ」などの詩で知られる作家・宮沢賢治が、かつて柏原の地を訪れていた。賢治が柏原の地を訪れたのは、大正5年(1916)3月、今から100年近く前のことだ。続きを読む

 

天誅組・新選組と柏原(2013/7/25)

 現在の柏原市域から天誅組と新選組に参加した2人の若者がいました。天誅組に参加した田中楠之助と新選組に参加した大谷良輔(良助)です。しかも、この2人は、同じ法善寺村(現在の柏原市法善寺)の出身だったのです。いったい、どのような状況だったのでしょうか。続きを読む

 

高井田山古墳に葬られているのは百済の昆支王?(2013/6/11)

 柏原市高井田の史跡高井田横穴公園内にある、5世紀の円墳、高井田山古墳に葬られているのは、百済(7世紀後半まで朝鮮半島南西部にあった国)の昆支(こんき)王か?続きを読む

 

発見! 幻の「堅山家文書」(2012/12/21)

 幻の「堅山家文書」が、約100年ぶりに発見された。堅山家文書とは、明治10年(1877)に行われた、河内国国分村市場(現在の柏原市国分市場)の松岳山(まつおかやま)古墳群(4世紀)の発掘に立ち会った地元の堅山新七が書き残した記録。続きを読む

 

柏原市域に関係する詩歌、市域内で詠まれた歌など(2012/12/18)

 ○ 海(わた)の底(そこ) 沖つ白波 竜田山 いつか越ゆらむ 妹(いも)があたり見む

海の底、沖の白波が立つ、竜田山を越えるのはいつの日だろうか、続きを読む

 

「博物館」って、何?(2012/10/24)

 日本国内どこの地方にも、また、世界のどこの国にも、たいてい「博物館」があります。

 柏原市立歴史資料館も、いってみれば、この「博物館」の一種です。

 ところで、「博物館」とは、いったい何なのでしょうか。続きを読む

 

史跡高井田横穴公園内の万葉歌(プレート)(2012/4/14)

 柏原市立歴史資料館に隣接して史跡高井田横穴公園がある。この公園は、横穴見学者だけでなく、より多くの人たちが公園を利用し、楽しむことができるよう、四季折々の花の植栽なども含めて整備されている。万葉集の歌を表示したプレートもその一つで、園内西エリアには花をテーマとした万葉歌のプレートが、テーマとなった花の植栽の近くに立てられている。続きを読む

 

ちょっと昔の柏原(2011/6/1)

 柏原市が市政を施行したのは、今から約50年前の昭和33年(1958)10月。昭和30年代を舞台にした映画「3丁目の夕日」の新作が公開されるなど、当時の社会や世相が関心を集めている。

 さて、それでは、そのころの郷土・柏原はどんなようすだったのだろう。続きを読む

 

柏原市の誕生(2011/4/19)

 昭和31年(1956)、柏原町と国分町が合併して成立した新しい柏原町は、昭和33年(1958)10月1日、市制を施行。ここに「柏原市」が誕生した。  それから50年余。ここで、改めて柏原市誕生の歴史をひも解いてみることにしよう。それは、昭和史のドラマである。 続きを読む

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
電話:072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431