「文化財」のリサイクル ~遺跡、出土物の再利用~

2014年11月18日 (文化財課)

 使える物は何でも使う、使える限り繰り返し使う、これが、人々の日々の営みのうえでの、従来の基本的スタンスだったようだ。

 土中や古墳から出土する遺物や、いや古墳そのものでさえも、長い歴史の間に遠慮なく再利用されてきた。使えるあいだは使う、再利用して使う、そのときに使いやすいように手を加えて使う、という考え方だ。そして、使えなくなったら躊躇なく捨て去る。そのままの形で将来に残す、文化財保護という概念は、かつては、あまりなかったようだ。こうした例は、柏原市内や近隣でも見ることができる。中には、新たな文化財となっている場合もあるようだ。そうした例のいくつかを見てみることにしよう。

 

石棺蓋地蔵

 青谷にある。古墳から出土した石棺の蓋の内側を利用して、正和2年(1313)に彫られたものである。

 

割竹型石棺蓋

 玉手の安福寺境内にある。近くの前方後円墳(玉手山3号墳)から出土したとされる。後、現在位置に運ばれて、当初は手洗い鉢として使われていたようだ。現在は、国の重要文化財に指定されている。

 

智識寺東塔心礎

 太平寺の石神社(いわ・じんじゃ)の境内にある。出土後、現在位置に運ばれ、これも、かつては手洗い鉢として使われていたようだ。現在は、大阪府の有形文化財に指定されている。

 

河内大塚山古墳

 松原市にある巨大前方後円墳。全長335メートルで、全国ナンバー5の大きさを誇る。大正14年(1925)に強制退去させられるまで、墳丘内に村があり人が住んでいた。昭和7年(1932)から立ち入り禁止となっている。陵墓参考地である。

 

津堂城山古墳

 藤井寺市にある前方後円墳。全長208メートル。室町時代に城として使われていた。大正元年(1912)には、神社に立てる石碑の材料にするため、石室の石が掘り出されている。現在は、史跡、陵墓参考地となっている。

 

古墳時代終末期の群集墳

 柏原市を中心とした、八尾市、羽曳野市、藤井寺市などのエリアには、多くの古墳が残されており、中でも古墳時代終末期などの群集墳が圧倒的に数多く残されている。これらの古墳は、石積みが解体されて斜面に開墾されたブドウ畑の土留めの石垣として再使用されたり、石室が農機具入れなどとして利用されたりしている。第2次世界大戦中には、防空壕代わりに使われたこともあったとか。中には、廃棄物の焼却炉として使われているものもあるようだ。また、古墳は、石室の天井石が失われていることがよくあるようだ。すでに何かに再利用されているのだろうか。

 

鳥坂寺跡

 市内高井田にある国の史跡。鳥坂寺は奈良時代ごろの古代寺院だが、もとあった古墳を壊して建立されたとみられ、古墳に使われていた石を整地に使っている。金堂跡前に置かれた礼拝石は、古墳にあった石棺の蓋石(ふたいし)を再利用している。

 

ブドウ畑の雛段造成

 市内、山の斜面のブドウ畑は明治以後に開墾されたものだが、その雛段状の土地の一部は飛鳥時代に住宅用地として造成されたものである。また、全国的には石棺や石地蔵を城の石垣などとして再利用している例もあるようだ。このようなリサイクルは、現在では文化財保護の観点から許されるものではない。しかし、昔の人の考えを知る資料にはなるだろう。ここでは、プラスの面だけ汲み取ることにしよう。

 

(文責:宮本知幸)

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