「鳥取」のルーツは柏原市にあった

2014年11月5日 (文化財課)

 「鳥取」といえば、現在では、当然「鳥取県」や「鳥取市」のことだ。しかし、その「鳥取」という地名のルーツは、実は現在の大阪府柏原市域にあったのだ。

 古事記と日本書紀(記紀)の垂仁天皇の条に次のような話が記されている。

 垂仁天皇の皇子、ホムツワケ(ホムチワケ)は、年齢が30歳になり、ひげが胸のあたりまで伸びるころになっても、赤ん坊のように泣いているばかりで、言葉を話すことができなかった。そのホムツワケが、あるとき鳥が飛んでいるのを見て「あれ、なに?・・・」と、初めて言葉を口にした。これを見た天皇は喜び、その鳥を捕らえる(取る)よう、臣下に命じた。命じられた臣下は、遠くまで追いかけて行って鳥を捕らえた。その後、ホムツワケは、めでたく言葉を話せるようになった。かくして、鳥を捕らえた臣下は、その功績により「鳥取造(ととりのみやつこ)」の名を与えられたという。

 鳥を捕らえた臣下の名は、古事記では「ヤマベノオオタカ」、日本書紀では「ユノカワタケ(ユノカワタナ)」となっている。捕らえた場所は、古事記では現在の富山県か新潟県のあたり、日本書紀では兵庫県から島根県あたりの日本海側となっている。

 また、日本書紀では鳥を捕らえて献上したことでホムツワケが話せるようになったとしているが、古事記では捕らえた後、さらに出雲(島根県)の神を祭ることによって話せるようになったとしている。

 鳥取造は、現在の柏原市高井田から青谷にかけての地域を本拠としていた豪族である。鳥取造ら「鳥取部(ととりべ)」(捕鳥部)の一族(人々の集団)が住んでいた、このあたりの土地を、当時「鳥取郷」と呼んでいた。この「鳥取造」、「鳥取部(捕鳥部)」、「鳥取郷」こそが、現在の「鳥取」という地名のルーツなのである。

 鳥取部とは、鳥、それも特に白鳥を捕らえて天皇に献上する役割を担った職能集団だったと考えられている。鳥取郷というのは全国に十数か所あり、いずれも白鳥の渡来地と重なっているとされる。大阪府内では、柏原市(河内)と阪南市(和泉)にあるが、河内の鳥取郷(つまり柏原市)こそが、鳥取部の本拠地だったと考えられているのだ。柏原市高井田の天湯川田(あまゆかわた)神社は、ユノカワタケを祭っている。

 明治維新後、県名に選ばれた因幡国の鳥取、邑美(おうみ)郡鳥取郷は、ホムツワケのために設けられた鳥取部に由来するという。この鳥取郷は、現在の鳥取市にある久松山(きゅうしょうざん)山麓の平野部だとされる。当時、このあたり一帯は沼地で、白鳥の渡来地としてふさわしいロケーションだったという。室町時代には、久松山に鳥取城が築かれている。まさに鳥取の中心部といえる地域である。

 また、古事記には、ヤマベノオオタカが鳥を捕らえるために追跡していった土地の名がいくつか挙がっているが、これらは、すべて製鉄や鍛冶に関係する土地だという。こうしたところから、鳥取伝説と製鉄や鍛冶との関連を指摘する説もある。柏原市大県(おおがた)や平野(ひらの)などからは多数の鍛冶関連遺跡が発掘されている。古代の柏原は、鍛冶が活発に行われていた地域だったのだ。

 しかし、そんな柏原市の鳥取も、現在では、青谷の一部に小字名を残すのみとなっている。JR関西本線(大和路線)河内堅上駅の南西、国分寺大橋手前あたりの大和川近くの一画がそれであろうか。ちなみに、ホムツワケは、景行天皇の兄であり、ヤマトタケルの伯父にあたる人である。

(文責:宮本知幸)

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