関西本線敷設反対運動 ―路線変更、踏切増設願いー

2014年9月12日 (文化財課)

 JR関西本線(大和路線)が、柏原市域西部の市街地をほぼ南北に縦断して通っている。このため、市内上市地区などは東西に分断された形だ。こうしたことから、この鉄道の敷設が計画された明治21年(1888)ごろ、路線の変更を願い出るなどの反対運動が起こっていた。対象地域の地主や戸長(江戸時代の庄屋、後の町村長)等から、明治21年5月21日付で大阪府知事にあて、路線変更の願いが出されている。 路線変更願いの理由は、線路によって地域が分断されると、1.人の往来が制限され農地を耕作するのが不便になるから、2.農業用水の水路が断ち切られて灌漑(かんがい=農地に水をひくこと)できなくなるから、というものだった。

 しかし、当時は殖産興業、国内の近代化促進が重視されていた時代。地主たちの願い出は何の障壁にもならず、鉄道の敷設計画は着々と進められたようだ。このため、せめて踏切を増設して欲しいという願い出に変わっていった。耕作が不便になることから、小作を辞退する人たちも続出していたという。これは、地主にとって死活問題だ。そういうわけで、大阪府知事や鉄道敷設委員長に対し、再三、願いが出されていたようだ。

 いろいろあったが、結局、鉄道は、明治22年(1889)5月14日に、湊町(現・JR難波)~柏原間が開通。地主など関係者には、明治21年10月と翌・明治22年6月の2回に分け、土地の買い上げ代金と農作物などの代金(植物代)が支払われた。その代金は、たとえば、2町1反1畝9歩(約2万1千平方メートル、内1町6反4畝20歩・約1万6千平方メートルは綿花畑)の広さの農地で、地代654円32銭9厘、植物代425円65銭1厘などというものだった。「植物代」というのは、立木や作物などへの補償で、綿1貫(3.75キログラム)につき43銭、大豆1石(約150キログラム)につき4円、サツマイモ1貫につき4銭5厘などと細かく決められていた。農地も何を耕作しているかによって、評価が異なっていたようだ。カボチャ畑17歩(約56平方メートル)は10銭2厘、茶畑3歩(約10平方メートル)は58銭5厘などとなっている。

 ちなみに、関西本線が敷設された、このあたりは、宝永元年(1704)の大和川の付替え工事以前は大和川だった土地。付替え後に農業用水路として残された長瀬川の水面はまわりの土地よりはるかに低く、そこから水を汲み上げるのが困難だったため、水田には適していなかった。綿花が主に栽培され、その綿花から生産される木綿は河内木綿として広く知られていた。土地の買取り記録からも、そういったことを見て取ることができる。

 

参 考

「柏原町史」 中河内郡柏原町(現・柏原市)1955 

「柏原市史」第3巻 柏原市 1972

(文責:宮本知幸) 

 

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