河内国分尼寺は何処に? 幻の河内国分尼寺

2014年9月26日 (文化財課)

 天平13年(741)、聖武天皇の国分寺建立の詔(みことのり)により、全国に国分寺(僧寺)と国分尼寺(尼寺)が設置された。正式には、僧寺を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺という。ともに国府(国衙=政庁の所在地)の近くか、その周辺地域に設置されたという。すべての国分寺が新築されたのではなく、既存の寺院を改修したものもあったようだ。現在、柏原市などがある河内国(かわちのくに)でも、当然、設置されたことだろう。「だろう」と言うのは、どこに設置されたのか、よく分からないからである。

 それでも僧寺の方は、市域内に残る多くの寺跡のうち、国分東条(こくぶひがんじょう)の東条廃寺がそれだろうとの結論をみている。それまでには、田辺廃寺や片山廃寺が候補となったこともあるらしい。東条廃寺は、河内の国府があった、現在の藤井寺市国府(こう)から随分離れており、むしろ大和に近いうえ、立地場所が狭い、急傾斜地が迫っている・・・などといった疑問点もあるが、一応通説として落ち着いている。昭和31年(1956)には、大阪府教育委員会が塔跡を買収し、すでに、この部分の整備も終わっている。

 しかし、尼寺となると、さっぱり分からない。なにしろ、それらしい遺跡が全く残されていないのだ。道路や田畑など、現在の地形から類推することすらできない。田辺廃寺や青谷の竹原井頓宮跡(たけはらいのとんぐうあと)がそれではないかとされたこともあったが、決め手はなかった。

 ただ、僧寺から西へ約500メートルいった住宅地内に「尼寺」という地籍名が複数認められる。このあたりからは、奈良時代の瓦も出土している。こうしたところから、市文化財課では、河内国分尼寺は、このあたりにあったのではないか、と推定しているところである。前述のように、河内国分寺(僧寺)については、現在、塔跡が整備されている。しかし、それ以外のこと、寺の主要建築物の配置などについては、なお不明の点が多い。

 現在、塔跡の近くに「河内国分寺」という宗教法人があるが、ここは聖武天皇の詔による河内国分寺とは何の関係もない、最近できた寺院である。現在、全国各地に残る国分寺も中世以降、さまざまな宗派の寺院に再編されている。

(文責:宮本知幸)

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