柏原に住んだ陰陽師、弓削是雄

2014年9月12日 (文化財課)

 陰陽師(おんみょうじ)といえば、安倍晴明(あべのせいめい)が有名だ。しかし、清明だけが陰陽師なのではない。賀茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)親子、保憲の子の光栄(みつよし)、清明のライバル蘆屋道満(あしやどうまん)などが知られる。そうした陰陽師の一人に弓削是雄(ゆげのこれお)という人がいた。

 是雄は、播磨国飾磨郡(現在の姫路市などの一帯)の出身だが、平安時代の貞観6年(864)8月、父・安人とともに河内国大県郡(現在の柏原市大県を中心とする一帯)に移貫(律令制による本籍地である本貫地を移すこと)されている。その後、貞観15年(873)12月に平安右京三条二坊に再度移貫されるまで、大県を本貫地としたようだ。当時は、本貫地から勝手に移住できない原則だったから、防人(さきもり)などに行く場合は別として、現住所と本貫地は一致していたとされる。

 つまり、10年近く大県郡に住んでいたと考えられるのだ。

 是雄が何年に生まれて何年に死んだのか、そういったことは不明だが、中務省(なかつかさしょう)陰陽寮(おんみょうりょう)という役所の陰陽師として活躍し、仁和元年(885)4月に陰陽寮のトップ、陰陽頭(おんみょうのかみ)になっている。官位は従五位下(じゅごいのげ)だったというから、立派な貴族官人だ。

 是雄の活躍については、今昔物語の「天文博士弓削是雄、夢を占う語(かたり)」などが伝わっている。ここで語られている内容が史実かどうか、分からないと言えば分らないが、少なくとも、そのような話が伝わっていることは事実だ。直木賞作家の高橋克彦さんの連作小説「鬼シリーズ」(「髑髏鬼」「白妖鬼」「長人鬼」など)は、弓削是雄を主人公としている。昔も今も物語(小説)の主人公になるところから見て、けっこう目立った陰陽師だといえるのではないだろうか。そういう人が、平安時代の柏原にいたのである。

 

【陰陽師】

 「おんようじ」ともいう。本来は、律令制の中務省陰陽寮に所属する官職の一つで、天文暦数の算定や占術などを行う方技(技官)のことをいった。つまり、当時の国家公務員の技術職の一つだったが、後には陰陽寮所属の全職員(技術職だけでなく事務職も含む)を指すようになり、中世以降は民間で占術や呪術などを行う者も陰陽師と呼ばれるようになっていった。陰陽五行思想(自然界のすべてのものは「陰」「陽」二つの気と「木」「火」「土」「金」「水」の五行によって生じるという考え方)に基づく陰陽道によって、占術などを行ったという。

 

【天文博士弓削是雄、夢を占う語】

 今は昔、東国に出張した伴宿祢世継(とものすくねよつぎ)は、帰りに近江国の勢多駅(せたのうまや)に泊まった。すると、その夜、悪夢をみた。翌朝、同じ宿に泊まっていた弓削是雄に占ってもらったところ、是雄は世継に「家へ帰るな。危険だ」と言う。しかし、出張帰りの世継としては、そういうわけにもいかない。そこで、是雄に「どうすればよいのか?」と尋ねると、「どうしても帰りたいのなら、帰ってから家の丑寅(うしとら=北東)の方に曲者(くせもの)が隠れているから、隠れていそうなところへ向かって弓に矢をつがえ、出てこい、出てこないと射殺すぞと一喝してやれ」との答え。帰宅した世継が、そのとおりにしてみると、なんと、そこに一人の法師が潜んでいた。捕らえて白状させると、法師は世継の妻と通じており、世継を待ち伏せして殺すつもりだったという。

 

参 考

「堅下村誌」 本田喜太郎 1925.3 

「日本古代氏族人名辞典」 坂本太郎・平野邦雄 監修 1990.11 吉川弘文館

「角川 日本史辞典」(第二版) 高柳光寿・竹内理三 編 1989.11 角川書店   他

(文責:宮本知幸)

 

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