今年初のスポット展示は、明治時代の教科書など

2014年9月23日

 柏原市立歴史資料館(同市高井田)では、2月28日(木)まで、明治時代の教科書や紋付羽織・袴などをスポット展示している。午前9時30分から午後4時30分。月曜休館、入館無料。

 展示しているのは、尋常小学校用の「実験日本修身書・巻三」(明治28年)や「帝国新読本・巻五」(明治28年)、高等小学校用の「国語習字帖・四」(明治32年)など、教科書5点と紋付羽織・袴一式。併せて、説明パネルと国分尋常高等小学校の大正4年度(1915)卒業記念写真を展示している。教科書は同市高井田の上西正義さんから、紋付羽織・袴は法善寺の大谷恒夫さんから、同歴史資料館への寄贈。

 明治5年(1872)の学制発布により、初等教育学校として小学校が設置された。当初は下等科と上等科、その後は初等科・中等科・高等科などに分かれていたが、明治19年(1886)の小学校令で、尋常小学校と高等小学校の二つとなり、両方を併せて「尋常高等小学校」として設置されていた。明治19年当時の修業年数は、尋常小学校、高等小学校ともに4年だったが、明治33年(1900)に尋常小学校が4年、高等小学校が2年又は4年となり、さらに明治40年(1907)以降は、尋常小学校が6年、高等小学校が2年となった。尋常小学校のみが義務教育だった。原則として、満6歳になった児童は全員が尋常小学校に入学することになっていたが、実際の就学率は明治25年(1892)ごろで55パーセントほどにすぎなかった。しかし、明治33年に市町村立の尋常小学校の授業料が原則無償化されたことから、同年の就学率は80パーセント以上に急増、さらに明治35年(1902)には90パーセントを超えている。展示の教科書は、授業料が無償化される少し前のもの。尋常小学校の授業料は国の基準で月額50銭とされていたが、実際の徴収額はそれより少なかったという。教員の初任給は、明治30年ごろで8円だったようだ。

 その後、昭和16年(1941)に国民学校(初等科、高等科)と改称されたが、昭和22年(1947)、現在の小学校として名称が復活した。尋常小学校卒業後の進路は、高等小学校への進学、中等教育学校(中学校、高等女学校など)への進学、就職などがあったが、昭和10年(1935)ごろの統計によると、高等小学校への進学が全体の70パーセント近くを占めていたという。

 紋付羽織・袴は、男子の和服の正装。一般に三つ又は五つの家紋が染め抜かれている。五つ紋が最良とされる。展示の紋は、「丸に尻合せ三つ葵」紋と呼ばれるもの。 

同歴史資料館では、「当時の小学校教育などを感じてもらえれば」などと話している。スポット展示について、くわしくは、同歴史資料館(072-976-3420)まで。

 

明治の教科書 紋付羽織

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