国豊橋上流左岸の大和川堤防「風戸堤」に歴史看板 柏原ライオンズクラブが寄付

2014年4月30日

 大和川の国豊橋上流左岸、柏原市国分本町3丁目付近の堤防「風戸堤(かざとつつみ)」の一画に、4月30日、柏原ライオンズクラブ(上田学会長)の寄付で、同堤防の由来などを記載した歴史看板(説明板)が設置された。同地で整備が進められていた親水公園が4月1日にオープンしたのを機に、このほどの寄付となった。

 当日は、上田会長ら同ライオンズクラブの会員のほか同市の中野隆司市長ら来賓が出席して、現地で除幕式が行われた。あいにくの雨だったが、関係者ら約30人が出席した。席上、柏原市立歴史資料館の安村俊史館長が、堤の由来などを解説した。 設置された歴史看板は、縦60センチ×横90センチのステンレス製の説明板2枚が、高さ約180センチの支柱2本の間に上下に並べて取り付けられている。上が説明文で、下が堤や水路などを描いた寛政9年(1797)の国分村周辺絵図など。

 国豊橋上流左岸では、平成18年度から堤防の改修や河川敷一帯を親水公園として整備する工事が国土交通省大和川河川事務所や柏原市公園緑地課などによって進められていた。この区間、延長約750メートルの堤防は、風戸堤、新町裏(しんまちうら)堤などと呼ばれ、江戸時代の初めごろには築造されていたと見られている。堤の築造により、新町と呼ばれる新しい町(現在の同市国分本町1丁目から4丁目一帯)が誕生するなど、現在の同市国分地区のその後の発展に大きく貢献したとされる。新町には奈良街道が通り、堤には当時の水運に大きな役割を果たした国分船の船着き場が設けられるなど、同地区は大阪と奈良の中間点、交通の要衝として栄えた。一帯は、かつて河内嵐山と呼ばれた景勝地でもある。

 同ライオンズクラブでは、「(歴史看板によって)先人の治水への努力と功績を顕彰していきたい」などと話している。同ライオンズクラブは、1963年度に設立され、2013年度で設立50周年を迎える。

 

ライオンズ寄付1

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