柏原市立歴史資料館の安村館長 韓国を訪問 公州大学校で講演 現地の研究者らと交流

2013年6月27日

 柏原市立歴史資料館(同市高井田)の安村俊史館長が、韓国公州大学校百済文化研究所の招きで、6月24日から26日の日程で韓国を訪問、同大学校で開催された講演会で講師を務めたほか、同大学校の尹龍●(ユン・ヨンヒョク)教授ら現地の研究者と古代日韓の文化交流について意見を交換するなどした。

 柏原市内には、百済からの渡来人の墓と見られる平尾山古墳群や百済の武寧王陵と瓜二つの火熨斗(ひのし)が出土し百済の王族の墓と考えられる高井田山古墳など、古代日韓の文化交流を示す遺跡が多数残されている。こうしたところから、平成23年10月に当時の岡本泰明市長を団長とする日韓古代文化交流視察団が韓国公州市や扶余郡などを訪問したほか、昨年10月には同市内の歴史愛好市民のグループが同地を訪問、古代の文化交流を示す遺跡を視察するとともに現地の市民と交流するなどした。安村館長もこれらの視察に同行、尹教授らと交流したほか、昨年10月の韓国訪問前に柏原市立市民文化会館リビエールホール(同市安堂町)で開催された百済の昆支王をテーマにした国際シンポジウムでは徐程錫(ソ・ジョンソク)公州大学校教授らとともに基調講演の講師を務めるなどしている。今回の訪問もこうした交流の延長として行われた。

 今回、同大学校での講演会は、25日午後1時から「5~6世紀、東アジアにおける百済と倭」をメインテーマに同大学校本館3階大会議室で開催された。同百済文化研究所が主催した。金鉉球(キム・ヒュンク)高麗大学校名誉教授による基調講演の後、「5~6世紀、百済対倭外交の推移とその類型」、「6世紀、百済系渡来人と仏教」など四つのサブテーマごとに講演と討論が行われた。研究者や一般市民ら計約60人が参加した。

 安村館長は、「畿内初期横穴式石室にみる百済の影響」をサブテーマに講演、李勲(イ・フン)忠清南道歴史文化研究院歴史文化研究所長と討論した。日本からは、安村館長とともに大阪国際大学の笠井敏光教授も参加しており、安村館長に続いて「昆支王と飛鳥千塚古墳群」をサブテーマに講演し、金洛中(キム・ナジュン)全北大学校教授と討論した。「5~6世紀、百済対倭外交の推移とその類型」は漢城大学校の李在碩(イ・チョソク)教授が講師を務め、「6世紀、百済系渡来人と仏教」は忠清南道歴史文化研究院の朴宰用(パク・チェヨン)博士が講師を務めた。その後、総合討論が行われ、午後6時過ぎに終了した。参加者らは、日本に残る百済文化の影響に興味をひかれたようすで、安村館長らの講演に熱心に聞き入っていた。

 今回の訪問を終えた安村館長は、帰国後、「高井田山古墳が百済と強い関係にあることが韓国の研究者にも理解いただけた。今回の講演が、今後の両国の研究と友好に寄与できることを願っている」などと話していた。
●火へんに赤ふたつ

 

【百済(くだら、ペクチェ)】

 4世紀半ばから7世紀後半まで、朝鮮半島にあった国。日本の古代文化の形成に大きな影響を与えた。聖明王(第26代国王)が仏像や経論を日本に伝えたほか、論語や千字文を伝えたとされる王仁(わに)を始め、学者や僧、技術者など、百済からの渡来者も少なくない。西暦660年、滅亡。当時、日本は、百済再興のために軍を派遣したが、西暦663年、唐・新羅連合軍によって白村江(はくすきのえ・はくそんこう)で大敗した。

 

【高井田山古墳】

 直径約20メートルの円墳。5世紀後半の築造と見られ、近畿地方で最古級の横穴式石室を持つ。古墳の規模や築造時期など、韓国の武寧王陵と共通点が多く、二つの古墳からは、ともに火熨斗(ひのし)型青銅製品や金層ガラス製品(装身具)が出土している。武寧王陵には王妃が合葬されているが、高井田山古墳にも2人が埋葬されており1人は女性だと見られている。昆支王の墓の可能性が示唆されている。

 

【昆支王(こんき・おう)】

 百済の国王(第21代)・蓋鹵王(がいろ・おう)の弟で、東城王(第24代国王)と武寧王(第25代国王)の父と考えられる人物。西暦461年ごろ、人質として当時の日本に送られた。羽曳野市飛鳥には、昆支王を祭神とする飛鳥戸(あすかべ)神社がある。

 

【武寧王】

 6世紀初めごろの百済の国王(第25代)で、百済中興の祖といわれる。日本生まれだとされる。

 

韓国訪問1 韓国訪問2

 

 

 

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