韓国の大学教授ら柏原市立歴史資料館を訪問 高井田山古墳、松岳山古墳などを視察

2013年8月22日

 古代日韓の文化交流を実地に研究しようと、8月22日、韓国の大学教授らが柏原市立歴史資料館(同市高井田)を訪問、同歴史資料館収蔵の高井田山古墳(5世紀)出土の火熨斗などを見学するとともに同歴史資料館隣接の史跡高井田横穴(6~7世紀)や高井田山古墳のほか、同市国分市場の史跡松岳山古墳(4世紀)など同市内の遺跡を視察するなどした。同歴史資料館の安村俊史館長が案内した。

 訪問したのは、韓国忠北大学校の梁起錫教授、啓明大学校の慮重國教授、忠南大学校の張寅成教授、公州大学校の鄭載潤教授と忠南歴史文化研究院の朴宰用研究員、慎瑜眞研究員や大学院生ら計10人。一行は、韓国古代史や考古学の研究者で、特に百済関係の専門家。「日本大阪歴史文化踏査・百済との関係遺跡を中心に」のテーマで、21日、来日した。京都大学大学院生の金奎運さんが通訳として同行、一行とともに来館した。

 百済とは、7世紀後半ごろまで朝鮮半島南西部にあった国で、当時の日本に大きな影響を与えたとされる。柏原市内には史跡高井田横穴や高井田山古墳など、百済との文化交流を示す遺跡が数多く残されている。こうしたところから、平成23年と24年には、柏原市長や市民らの視察団が、百済の故地、韓国公州市や扶余郡などを訪問したほか、平成24年10月には日韓の研究者らが参加して、百済の昆支王をテーマにした国際シンポジウムを柏原市民文化会館で開催するなどしている。この間、韓国のテレビ局が、計3回、高井田山古墳などを取材した。さらに今年6月には、安村館長が韓国公州大学校で開催されたシンポジウムに講師として参加するなど、近年、活発な交流が進められている。

 一行は、安村館長に盛んに質問、意見を交わしながら、韓国の武寧王陵とよく似た石室を持つ高井田山古墳や武寧王陵出土の火熨斗と瓜二つの高井田山古墳出土の火熨斗などを熱心に視察。併せて、現在、旧国道170号の拡幅工事に伴い大阪府の手で発掘調査が行われている大県遺跡(縄文~中世)の発掘現場なども視察した。

 一行は、このほか、大阪文化財研究所や狭山池博物館、羽曳野市教育委員会、枚方市教育委員会なども訪問して、26日に帰国の予定。

 

【史跡高井田横穴】

 国の史跡。周辺一帯、約3万6千平方メートルが史跡高井田横穴公園として整備されている。公園の史跡指定地内に高井田山古墳がある。

 

【高井田山古墳】

 直径約20メートルの円墳。近畿地方で最古級の横穴式石室を持つ。古墳の規模や築造時期など韓国の武寧王陵と共通点が多く、昆支王の墓の可能性が示唆されている。

 

【昆支王(こんき・おう)】

 百済の武寧王(第25代国王)の父と考えられる人物。西暦461年ごろ、人質として当時の日本に送られた。柏原市の南に隣接する羽曳野市飛鳥には、昆支王を祭神とする飛鳥戸(あすかべ)神社がある。

 

【武寧王(ぶねい・おう)】

 6世紀初めごろの百済の国王。百済中興の祖といわれ、日本生まれだとされる。

 

【松岳山(まつおかやま)古墳】

 美山(みやま)古墳の後円部が「史跡松岳山古墳」として国の史跡に指定されていることから、一般には美山古墳のことを「松岳山古墳」と呼んでいる。周辺は、前方後円墳や円墳、方墳などで構成される4世紀の古墳群で、「松岳山(松岡山)」というのは、本来、この周辺一帯の名称。「松岳山古墳群」と呼ばれているが、現在、はっきりした形で残っているのは美山古墳のみ。同古墳群は、国宝・船氏王後首(ふなしおうご・おびと=7世紀の人物)の墓誌や重文・歯車型碧玉製品、重文・三角縁神獣鏡などが出土したことでも知られる。

 

高井田山古墳 松岳山古墳
高井田山古墳 松岳山古墳

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