「天誅(てんちゅう)組・新選組と柏原」を特集展示

2013年8月29日

 柏原市立歴史資料館(同市高井田)は、「天誅組・新選組と柏原」を特集展示する。常設展示場の一画に設けた特集展示コーナーで、同市内の関係者宅に残されていた古文書や位牌、解説パネルなどを展示する。8月27日(火)から12月28日(土)(予定)、午前9時30分から午後4時30分。月曜休館。入館無料。 文久3年(1863)に天誅組と新選組が結成されてから今年で150周年を迎える。天誅組は皇軍御先鋒を称して行動した反幕府勢力、新選組は徳川幕府による反幕府勢力取り締りのための武装組織とされる。当時、現在の柏原市域から天誅組と新選組に参加した2人の若者がいた。天誅組に参加した田中楠之助と新選組に参加した大谷良輔。しかも、この2人は、ともに現在の同市法善寺地区(当時は、北法善寺村と南法善寺村に分かれていた)の出身だった。さらに大谷良輔は、関係者宅に残されていた古文書から文久2年(1862)に父の跡を継いで庄屋になっていたことが、今回新たに分かった。展示では、この2人を中心に天誅組・新選組と柏原との関わりなどを紹介する。同歴史資料館では、「市内に残る新発見の史料などを通じ、これまで、一般には、あまり語られることのなかった2人にスポットを当ててみたい」などと話している。

 特集展示「天誅組・新選組と柏原」について、くわしくは、同歴史資料館(072-976-3430)まで。

 

【大谷良輔】

 天保7年(1836)~元治2年(慶応元年)(1865)。南法善寺村の庄屋・大谷十助の次男。元治2年、新選組入隊直後に切腹したとされる。事故死ともいわれるが、それらも含めて、くわしいことは全く分かっていない。本名は「良助」だとされる。八尾市の神宮寺墓地(八尾市神宮寺5)の墓には「大谷有知」と刻まれている。

 

【田中楠之助】

 天保14年(1843)~元治元年(1864)。北法善寺村の庄屋・田中兵左衛門の次男。文久3年(1863)、天誅組の挙兵に参加。挙兵失敗により捕らえられ、翌年、京で処刑された。明治35年(1902)に従五位が贈られ、昭和3年(1928)、地元有志の手で法善寺1に顕彰碑が建てられた。

 

【特集展示】

 柏原市立歴史資料館常設展示場(約180平方メートル)の一画(約30平方メートル)に今年3月から設けられている。テーマを決めて、おおむね半年ごとに展示替えされる。今回の特集展示は、「古代の柏原」をテーマにした智識寺(東大寺大仏のモデルになったとされる河内大仏を祀(まつ)った寺)の再現模型などの特集展示に続く第2弾。

 

大谷良輔 田中楠之助

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(柏原市立歴史資料館内)
電話072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431