史跡高井田横穴公園内の万葉歌(プレート)

2012年4月14日 (文化財課)

 柏原市立歴史資料館に隣接して史跡高井田横穴公園がある。この公園は、横穴見学者だけでなく、より多くの人たちが公園を利用し、楽しむことができるよう、四 季折々の花の植栽なども含めて整備されている。万葉集の歌を表示したプレートもその一つで、園内西エリアには花をテーマとした万葉歌のプレートが、テーマ となった花の植栽の近くに立てられている。これらの歌は、柏原市に直接関係するものではないが、歴史に触れるという点からは、史跡公園と決して無縁のもの ではない。そこで、本稿では、これらの歌を通して、少し、万葉の雰囲気に浸ってみることにしたい。

 

○ 磯の上に 生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たお)らめど 見すべき君が ありとはいはなくに 【大来皇女(おおくのひめみこ)(大伯皇女)2-166】

(川岸の岩のほとりに生えているアシビの花を手折っても、その花を見せるべき あなたはいない。あなたがいると誰も言ってくれないのに。)

※アシビ(アセビ)は、ツツジ科の常緑低木。早春につぼ型の白い小さな花を多数付ける。有毒で、馬が食べると麻痺状態になるところから、この名がある。

※朱鳥元年(686)10月、大来皇女の実弟、大津皇子が謀反の罪で処刑された後、二上山に移葬されるときに読まれた歌、2首のうちの1首。当時の大来皇女の心情が痛いほど伝わってくる。

 

 もう1首は、

 ・ うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟(いろせ)と我が見む(2-165)

 (現世の人間である私は、明日からは二上山を弟だと思って見よう。)

※大来皇女、大津皇子、ともに父は天武天皇、母は大田皇女(おおたのひめみこ)。

※二上山(にじょうざん)は、金剛山や葛城山とともに資料館や公園からもよく見える山である。

 

○ 山吹の 花のさかりに かくのごと 君を見まくは 千年(ちとせ)にもがも 【大伴家持(おおとものやかもち) 20-4304】

(山吹の花の満開のころに このように あなたに会うことは千年も続いて欲しい。)

※宴席で、橘諸兄(たちばなのもろえ)を持ち上げる歌。しかし、万葉集の注釈によると、歌を披露する前に諸兄は帰ってしまったという。当時、諸兄の山荘が山城国井出にあり、井出が山吹の名所だったことから諸兄は「山吹の大臣」と呼ばれていた。

 

○ ほととぎす 鳴く声聞くや 卯の花の 咲き散る岡に 田草(くさ)引く娘子(をとめ) 【作者不詳 10-1942

(ホトトギスの鳴く声を聞いただろうか、卯の花が咲いて散っている岡で草取りをしている娘よ。)

 

○ 皆人(みなひと)の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴くほととぎす 吾忘れめやも 【大伴清縄(おおとものきよつな) 8-1482】

(世間の人たちが咲くのを待っていた卯の花が散ってしまっても、鳴いているホトトギスを私が忘れることがあろうか。)

 

○ 山越えて 遠津(とほつ)の濱の 石躑躅(いはつつじ) わが来むまでに 含(ふふ)みてあり待て 【作者不詳 7-1188】

(山を越えて、遠くにある遠津の浜のイワツツジよ、私が来るまでツボミのままで待っていておくれ。)

 

○ 池水に 影さへ見えて 咲きにほう 馬酔木(あしび)の花を 袖に扱入(こきい)れな 【大伴家持(おおとものやかもち) 20-4512】

(池の水面に影を映すほどに咲き匂っているアシビの花を、袖にこすりつけ、花の匂いを移して、そのまま袖の中に入れよう。)

 

○ 紫陽花(あじさい)の 八重咲く如く やつ代にを いませわが夫子(せこ) 見つつ偲はむ 【橘諸兄(たちばなのもろえ) 20-4448】

(アジサイの花が八重に(いくつも重なって)咲くように、天皇の代、八代(多くの代)にもわたって、ずっと、お元気でいらしてください。花を見ながら、あなたを思い出しましょう。)

※左大臣・橘諸兄が、右大弁・丹比国人真人(たぢひくにひとまひと)の家で宴席を持ったとき、互いに詠んだ歌、3首のうちの1首

※アジサイを詠んだ歌は、万葉集に、この歌を含んで2首しかなく非常に珍しい。もう1首は、大伴家持の作(4-773・後述)。

※当時のアジサイは、現在のガクアジサイだったと思われる。したがって、それを「八重」と見るのは少々無理があるとされている。

※ちなみに「アジサイ」は、集真藍(アヅサイ)、すなわち、集まった(アヅ)サアイ(真藍)、青色の花が集まっている意味だと考えられている。しか し、これに「紫陽花」の文字をあてたのは、源(みなもとの)順(したがう)(911~983)の間違いだといわれる。唐の詩人、白居易(772~846) が「紫陽花」と表現した花をアジサイだと思ってのことだが、白居易が「紫陽花」と表現したのは、実はライラック(リラ)のことだと考えられるのだそうだ。 ライラックはヨーロッパ原産だが、当時の日本にも同属のハシドイ(丁香花、端集)という植物が自生していた。こうしたところから、ライラックの和名をムラ サキハシドイ(紫丁香花)という。万葉集では、アジサイは「味狭藍」(大伴家持)、「安治佐為」(橘諸兄)と表記されている。源順の間違いがなかったら、 あるいは、「紫陽花」はライラックの漢字表記になっていたかもしれない。

 

 宴席で読まれた歌3首のうち、他の2首は、

・ 我がやどに 咲けるなでしこ 賂(まひ)はせむ ゆめ花散るな いやをちに咲け 【丹比国人真人(たぢひのくにひとまひと) 20-4446】

(私の家に咲いたナデシコよ、何でもするから散らないでくれ、何度も繰り返して、咲いていておくれ。)

・ 賂(まひ)しつつ 君が生(お)ほせる なでしこが 花のみ訪(と)はむ 君ならなくに 【橘諸兄(たちばなのもろえ) 20-4447】

(大事にしながら、あなたが育てたナデシコ、あなたは、私にとって、移ろいやすいナデシコの花のように、そのときの気まぐれだけでお付き合いするような人ではありませんよ。)

 

○ わが岳(をか)に さを鹿来鳴く 先芽子(はつはぎ)の 花嬬(はなつま)問ひに 来なくさを鹿【大伴旅人(おおとものたびと) 8-1541】

(私の住む丘に牡鹿がやって来て鳴いている。萩の初花を妻にしようと、やって来て鳴く牡鹿よ。)

※鹿と萩を男女に例えた歌。旅人が神亀(じんき)5年(728)に妻と死別した後の作と思われる。旅人は、大伴家持の父で、大伴坂上郎女(おおともの さかのうえのいらつめ)の異母兄。ちなみに坂上郎女は、旅人が妻と死別した後、残された家持らを育て、娘の坂上大嬢(さかのうえのおほおとめ)を家持に嫁がせている。

 

○ 磯かげの 見ゆる池水 照るまでに 咲ける馬酔木(あしび)の 散らまく惜しも 【甘南備伊香(かんなびのいかご) 20-4513】

(磯影が映っている池の水面を照らすほどに咲いているアシビの花が散ってしまうのは惜しい。)

 

○ 山吹は 日に日に咲きぬ 愛(うるほ)しと 我(あ)が思ふ君は しくしく思ほゆ 【大伴池主(おおとものいけぬし) 17-3974】

(山吹は、来る日も来る日も繰り返して咲いている。素敵な人だと私が思う あなたのことも 何度も繰り返して思われる。)

 

○ 南淵(みなふち)の 細川山に 立つ檀(まゆみ) 弓束纏(ゆづかま)くまで 人に知らえじ 【作者不詳 7-1330】

(南淵の細川山に立つ、弓の材料となるマユミの木よ、弓が完成するまで人に知られないようにしよう。)

※恋の成就を弓の完成に例えた歌。ところで、南淵(稲淵)と細川山は、約3km離れている。なぜ、南淵の細川山なのか、との疑問がある。)

 

○ あしひきの 山道(やまぢ)も知らず 白橿(しらかし)の 枝もとををに 雪の降れれば 【作者不詳 10-2315】

(どこに山道があるかも分からない、シラカシの枝をしならせるほどに雪が降っているから。)

 

○ わが屋戸に 黄変(もみ)づ鶏冠木(かえるで) 見るごとに 妹を懸けつつ 恋ひぬ日は無し 【大伴田村大嬢(おおとものたむらのおほをとめ) 8-1623】

(私の家で色づくカエデを見るたびに あなたを思いながら恋しない日は無い。)

※異母妹の大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおほをとめ)(大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の娘で、大伴家持の妻)に送った歌2首のうちの1首。お互いに女性ではあるが、恋歌仕立てになっている。

 

 もう1首は、

・ わが屋戸の 秋の萩咲く 夕影に 今も見てしか 妹が姿を(8-1622) (私の家の秋の萩が咲いている。その夕日の中で、今すぐにも見たい、あなたの姿を。)

※田村大嬢と坂上大嬢、そういう仲だったのか、冗談なのか。この関係を踏まえたうえで、大伴家持の歌(4-770~774=後述)を鑑賞すると・・・

 

○ 山吹の 立ちよそいたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく 【高市皇子(たけちのみこ) 2-158】

(山吹が、ほとりを美しく飾るように咲いている山清水、汲みに行きたいのだが、道を知らないのだ。)

※はるか西方に、失われた生命を復活させる泉があり、そのほとりには金色の菊の花が咲いている、という古代シュメールの伝説の影響を受けている、との指摘がある(土居光知『古代伝説と文学』1960)。 ※異母姉、十市皇女(とおちのひめみこ)(大友皇子の正妃)が、天武天皇7年(678)4月7日に急死したときの歌、3首のうちの1首。十市皇女の母は額田王(ぬかたのおおきみ)、高市皇子の母は胸形尼子娘(むなかたのあまこのいらつめ)。父は、どちらも天武天皇。

 

 他の2首は、

・ みもろの神の神杉(かむすぎ) 已具耳矣自得見監乍共 寝(いね)ぬ夜ぞ多き(2-156)  (三輪山の神木の杉、         眠れない夜が多いことだ。)

※2-156の歌は、下線部分について、どう読むのかわかっていない。「夢にだに 見むとすれども」や「かくのみに ありしと見つつ」など、約10通りの説があるが、誤字であるとの前提に立つしかなく、決め手に欠けている。

・ 三輪山の 山辺(やまへ)真麻木綿(まそゆふ) 短か木綿 かくのみ故に 長くと思ひき(2-157)  (三輪山のふもとのマソユウ、こんなにも短かったのに、長くあれ、と念じていた。)

※マソユウの短さを十市皇女の生命の短さに例えた歌。

※マソユウ=マ麻(そ)(麻(あさ)の繊維。「マ」は接頭語)で作ったユウの代用品の祭祀用具だと思われる。ユウは楮(こうぞ)からとった繊維で、榊(さかき)に付けて祭祀用具として使われた。

※恋人の死を嘆くように姉の死を悲しむ高市皇子であった。

 

○ 言(こと)問はぬ 木すら紫陽花(あじさい) 諸弟等(もろとら)が 練(ねり)の村戸(むらど)に 詐(あざむ)かれけり 【大伴家持(おおとものやかもち) 4-773】

(ものを言わないアジサイにさえ実があるのに、諸弟(もろと)めが、あの悪巧みの達人に騙されてしまった。)

※家持が、大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおほをとめ)に送った歌、5首のうちの1首。5首の歌は、「何故、会いに来てくれないのか」といった坂上大嬢からの問いに答えたものと思われる。

※諸弟は、1.人名だという説(諸弟という人物を仲介に恋の歌のやり取りをしていたのか)と、2.坂上大嬢とその姉妹たち(田村大嬢ら)のこと、とする説がある。

※村戸は、「腎」、つまり、人の内臓器官、人智を司る器官のことだとされる。

※現在のアジサイ(西洋アジサイ)は、オシベもメシベも退化しており結実しない。しかし、その原種、ガクアジサイの場合は、まわりの花は装飾花で結実 しないが、中心部は両性花で少しとはいえ結実する。こうしたところから「木すら紫陽花(アジサイでさえも少しは実があるのに)・・・」と、詠まれたのだろ う。

 

 5首のうち、他の4首は、

・ 人目多(ひとめおほ)み 逢はなくのみそ 心さへ 妹を忘れて 我(あ)が思はなくに(4-770)

(人目が多いので会いに行かないだけ。心の中まで、あなたのことを忘れたわけではない。)

・ 偽(いつは)りも 似付(につ)きてそする 現(うつ)しくも まこと我妹子(わぎもこ) 我(われ)に恋ひめや(4-771)

(人をだますなら、もっともらしく言うものだ。本当にあなたは、私を恋しているのか。恋してなどいないだろう。)

・ 夢にだに 見えむと我(あれ)は ほどけども 相(あひ)し思はねば うべ見えざらむ(4-772)

(夢にでも、あなたのことを見ようと思って、着物の紐を解いて寝たけれども、片思いなのだから見ないのも当然だろう。)  

※当時、紐が自然に解けるのは恋しい人に会える前兆、とされていた。さらに、恋しい人に会うために自分で紐を解くという、まじないも行われていた。

・ 百千度(ももちたび) 恋ふと言ふとも 諸弟らが 練りの言葉は 我(あれ)は頼まじ(4-774)

(何百回も何千回も「恋しい」と言おうとも、諸弟めの うまい言葉には騙されないぞ。)

※家持と坂上大嬢、二人のあいだに何があったのだろう。田村大嬢の存在が影響を与えているのだろうか。妻に女性の恋人がいることを知った夫のショックか。

 

○ 河蝦(かわづ)鳴く 吉野の河の 瀧の上の 馬酔木(あしび)の花ぞ 地(つち)に置くなゆめ 【作者不詳 10-1868】

(カエルが鳴く、吉野の川の滝の上のアシビの花よ、決して散らないでおくれ。)

 

○ いにしえに 恋ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の 御井(みい)の上より 鳴き渡りゆく 【弓削皇子(ゆげのみこ) 2-111】

(昔を恋い慕う鳥なのだろうか、ユズリハの御井の上を鳴きながら渡って行く。)

※持統天皇の吉野行幸に際し、弓削皇子が額田大王(ぬかたのおおきみ)に送った歌。「いにしえに恋ふる鳥かも」とは、今は亡き天武天皇(弓削皇子の 父)を今も恋い慕っているのか、との問いかけ。(今も恋い慕っているから)御井の上から北、大和の方へ飛んでいくのでしょう、という意味である。

※これに対する額田大王の返事の歌は、

・ 古(いにしえ)に 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我(あ)が思へるごと(2-112)

(昔を恋い慕う、今は亡き人を慕う鳥とは、ホトトギス。たぶん鳴いたことだろう、私が恋い慕っているように。)

※これらの歌は、持統天皇4年(690)か5年(691)の作だと思われる。だとすると、弓削皇子は20歳前後、額田大王は60歳代だと推定される。

 

○ 風早(かざはや)の 美保の浦廻(うらみ)の 白躑躅(しらつつじ) 見れどもさぶし なき人思へば 【河辺宮人(かわべのみやひと) 3-434】

(美保の浜の白ツツジは、見ても楽しい気分になれない、亡き人のことを思うから)

※和同4年(711)、河辺宮人が、姫島の松原で美人の死体を見て詠んだという歌、4首のうちの1首。ただし、これらの歌は、題詞と歌の内容があって いない。おまけに挽歌の項なのに相聞歌がまじっていたりする。こうしたところから「(正誤の)判断がつかないので、そのまま収録する」と万葉集の注釈にあ る。しかし、ここでは、同じ理由から他の3首は省略する。

 少ない文字数の中に詠み手の心情を集約した歌は、それだけで味わいがある。ことに万葉の昔に詠まれた歌は、千数百年の時を超え、当時の心情がダイレクト に伝わって来るだけに、その味わいは、またひとしおである。時代が変わっても人の心情に大きな違いはない。万葉の歌は、そのことを我々に共感をもって実感 させてくれる。共感によって、歌の味わいは、さらに深くなっていくものだ。

 

 

参考:新編日本文学大全集第6巻「萬葉集」1(小島憲之、木下正俊、東野治之、小学館1994)、同第7巻「萬葉集」2(同、小学館1995)、同第9巻「萬葉集」4(同、小学館1996) 他

 

参考

紫陽花詩 何年植向仙壇上 早晩移栽到梵家 雖在人間人不識 与君名作紫陽花  招賢寺有山花一樹、無人知名。色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物。因以紫陽花名之。

白居易(「白氏文集」巻二十)

 

いずれの年にか 植えて 仙壇の上に向かい、 早晩、移栽して 梵家に至る。 人間(じんかん)にあるといえども 人、知らず、 君に名づけて 紫陽花(しようか)となす。 招賢寺に山花一樹あり、名を知る人なし。色 紫にして、気 香ばしく、芳麗にして愛らしい、すこぶる仙物に類す。よりて、これを「紫陽花」と名づく。

(文責:宮本知幸)

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