高井田山古墳に葬られているのは百済の昆支王?

2013年6月11日 (文化財課)

 柏原市高井田の史跡高井田横穴公園内にある、5世紀の円墳、高井田山古墳に葬られているのは、百済(7世紀後半まで朝鮮半島南西部にあった国)の昆支(こんき)王か?

 柏原市教育委員会文化財課によると、可能性はゼロではないという。

 高井田山古墳は、日本で最古級の横穴式石室を持つ古墳で、韓国の武寧王陵と規模(直径約20メートルの円墳)や石室の状況、夫婦が埋葬されていると見ら れる点、さらに火熨斗(ひのし)型青銅器や金層ガラス玉製品が副葬されているなど共通点が多く、当時の百済との結びつきの強さを物語っている。ことに火熨 斗は、双子といってよいほど形が似ている。

 武寧王は、百済の第25代国王で、「日本書紀」(8世紀編纂)などによると、昆支王の子又は甥(兄の子)とされる。韓国の歴史書「三国史記」(12世紀編纂)では、昆支王の孫となっている。いずれにせよ、血縁関係が近いことに変わりはない。

 昆支王は、一般にはあまり知られていないが、柏原市の南に隣接する羽曳野市飛鳥には、昆支王を祭神とする飛鳥戸(あすかべ)神社がある。柏原市の大和川 南岸地区から羽曳野市にかけては、かつて河内国安宿(あすかべ)郡と呼ばれていた。飛鳥戸神社は、その安宿(河内飛鳥)に鎮座している。一帯は、昆支王と その子孫たちの本拠地だったようだ。昆支王は、百済の王族ではあるが百済国王には即位しておらず、日本書紀によると雄略天皇5年(西暦461)に日本に来 たとされる。

 高井田山古墳の築造時期は、副葬されている須恵器の編年によると、西暦450年から470年ごろであるとされる。高井田山古墳が西暦460年以前の築造 であれば、昆支王が葬られていることはあり得ない。西暦461年以後の築造だとしても、王は日本に来てすぐに死亡したことになり、少々不自然である。河内 飛鳥一帯を本拠とするには、一定の年数が必要だと考えられるからだ。

 しかし、須恵器の編年の別の見方によれば、高井田山古墳の築造時期は、西暦470年から490年ごろだと考えられるという。もし、そうであるとするなら、昆支王が葬られている可能性は極めて大きくなる。むしろ、昆支王以外の人物に候補者を求める方が難しくなるだろう。

 高井田山古墳に葬られている人物が、百済の王族クラスの人、それも「来日一世か二世」だろうということに研究者間に争いはない。  このように、昆支王が葬られている可能性は小さくない。 しかし、葬られているのが昆支王だと断定するには、残念ながら確証はない。都合のよい材料だけを組み立て、推測によって、そう考えられなくもないというに過ぎない。高井田山古墳に葬られている人物が、果たして誰なのかということについては、当分、謎のままであるようだ。

 平成23年11月16日付けの産経新聞夕刊によれば、平成24年4月にオープン予定の韓国ソウル市立漢城百済博物館に昆支王に関係する資料が展示される という。これに関連して、平成23年10月下旬に羽曳野市の視察団が韓国を訪問した。柏原市の視察団も10月上旬に韓国を訪問している。

 高井田山古墳のある丘陵からは、昆支王を祭る飛鳥戸神社など、かつての安宿郡を一望することができる。丘陵の下には大和川が流れ、その水は百済にまで通 じている。高井田山古墳の謎は、まさに歴史のロマン、わたしたちを知的空間に導き、魅了してやまないテーマだといえるだろう。

(文責:宮本知幸)

 

 

高井田の昆支王説

 

 高井田横穴公園内にある高井田山古墳の様子

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