古代の“国道1号線”は柏原を通っていた !? 「難波より京に至る大道」 真実のルートは?

2014年6月24日 (文化財課)

 難波より京に至る大道」は、どこを通っていたのか?

 「難波より京に至る大道」とは、推古天皇の時代に設置された官道である。古代の“国道1号線”ともいえるだろう。

 日本書紀の推古天皇21年(613)11月の条に「難波より京に至る大道を置く」とあり、平成25年(2013)で設置1400周年を迎えた。

 「難波より京」とは、「難波津(なにわづ=難波の港)から当時の宮殿があった飛鳥まで」を意味する。

 「難波より京に至る大道」のルートは、難波津(現在の大阪市中央区と北区の大川周辺)からまっすぐ南下した後、現在の堺市大泉緑地のあたりで竹内街道に 合流し、飛鳥まで続いていたとするのが一般的な見方、現在の通説といえる(図青線)。「大道」(大阪市天王寺区)や「大道町」(堺市北区金岡町)などと いった地名が大阪市から堺市にかけて残っており、大阪市住吉区と東住吉区の境界、それに続く堺市と松原市の境界、南北約4キロメートルの直線も大道に関係 する何らかの痕跡だと考えられている。昭和55年には、堺市北区で幅約18メートルの道路の遺構が発掘された。この遺構は「難波大道(なにわだいどう)」 と名付けられ、推古天皇21年の「難波より京に至る大道」に関連するものと見られていた(図★印)。

 しかし、近年、堺市北区で発掘された道路の遺構は7世紀半ば以降のものであることが分かり、大道を置いたのが7世紀前半だとする日本書紀の記述と合わないことが明らかとなった。

 他方、現在の国道25号付近を通っていたと見られる渋河道や龍田道の沿道には、四天王寺や渋川廃寺、船橋廃寺、斑鳩寺(法隆寺)など7世紀初頭から前半に建立された寺院や同時代の遺跡が分布している。こうしたところから、置かれた当初の大道は、難波津から南下した後、堺市内には入らず、四天王寺のあたり で渋河道に合流して柏原市域を通り、さらに斑鳩を経由して飛鳥に向かっていたのではないかと考えられる(図赤線)。

 このように、古代寺院や遺跡の分布という新たな視点から推古天皇時代の大道を眺めてみると、新たなルートが浮かび上がってくる。果たして、「難波より京に至る大道」の真実のルートは?古代の謎への興味は尽きない。

(文責:宮本知幸)

 

 

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