安福寺横穴の騎馬人物線刻壁画は後世の落書きか?

2014年8月8日 (文化財課)

 柏原市内には、史跡高井田横穴群や安福寺横穴群など古墳時代の横穴墓群が残されている。6世紀後半ごろから7世紀初頭にかけてのもので、同種の横穴墓群は、大阪府内では柏原市内にしかなく、大変貴重である。特に高井田横穴群は、その内部にゴンドラに乗る人物などの線刻壁画があることで全国的に知られる。早くも大正11年(1922)に国の史跡に指定されていることでも、その貴重さを認識することができる。

 ところで、安福寺横穴群にも線刻壁画を持つ横穴がある。羨道(せんどう=墓の入口から棺を納めた玄室までの通路)部分に騎馬人物像など3つの線刻壁画が描かれている。この騎馬人物像などについては、「柏原市史」第1巻(1969.9、柏原市 P154)にすでに記述されているが、新聞報道などによって広く知られるようになったのは昭和47年(1972)4月ごろのことだった(4月3日に報道)。奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画発見(昭和47年3月21日発見・26日に報道)のニュースに触発される形で広まっていったようだ。横穴群が大阪府の史跡に指定されたのもこのころのことである(昭和48年・1973年3月30日指定)。

 しかし、この騎馬人物壁画には、当初から後世(現代)の落書きではないか、との疑問があった。

 つまり、1.線が細く浅すぎる(千数百年の風雪に耐えたものとは思えない。高井田横穴群の壁画の線はもっと太く深い)、2.壁画の描かれている位置が不適当(閉塞装置の取付け部分に重なるような位置に描かれている)、3.明治~大正~戦前(昭和初期)の調査記録(論文など)では一切触れられていない、などといった疑問だ。

 そして、なんと言っても最大の疑問は、その描き方である。あまりに立体的かつ写実的に表現されているのだ。たとえば、高井田横穴群でも騎馬人物像は描かれている。しかし、多くは実に平面的、記号的であり、このような立体的、写実的表現は見られない。同時代の壁画であるにもかかわらず。

 これまで各時代を通じて横穴に出入りした名だたる考古学者たちが、一人残らず壁画を見落としていた、などということがあり得るだろうか。そのとき「壁画はなかった」可能性の方が高いというべきだろう。  こうしたところから、安福寺横穴群のものは、現代人の手による可能性が否定できないのである。柏原市史編纂委員の話などから、昭和32年~33年(1957~1958)ごろに描かれたのではないかと推定されるという。

 さらに、この騎馬人物壁画が新聞などによって大きく報道された後(昭和47年5月)、何者かによって壁画上にバツ印が打たれるという「事件」が発生した。バツ印は、まさに壁画の作者によるメッセージ(「これは、自分が描いた落書きであり古墳時代の壁画ではない」というメッセージ)であるとも、とらえられている。

 高井田横穴群でも後世の落書きは少なからずあるものと推定されている。驚いたことに安福寺横穴の騎馬人物壁画と馬の後脚の描写がそっくりなものもある。この線刻壁画の線も細く浅い。そして、こちらは上部が削り取られたようになっている。この線刻壁画も後世(現代)の落書きなのではないだろうか。それも同じ“作者”による。決して、安福寺の壁画が古墳時代のものであることを証明するものではないだろう。上部が削り取られているのも、安福寺のものと同様、作者自身が否定しようとした結果なのではないだろうか。

 もとより横穴は貴重な文化財である。落書きは文化財の破壊行為であるが、落書きがあるからといって、横穴そのものの存在意義が消滅するものではない。後世の手によるものであっても歴史的に意味を持つものもあるだろう。しかし、現在の落書きに文化財としての価値を付与することはできない。どれが横穴建設当時のもので、どれが後世の落書きなのか、その識別は、大きな課題だといえるだろう。

 

参 考

「研究ノート 玉手山安福寺横穴群の騎馬人物像に関する覚書 -近つ飛鳥博物館周辺の古墳5-」 山本彰 大阪府立近つ飛鳥博物館館報7 2002

柏原市史 第1巻 柏原市1969

柏原市史 第4巻 柏原市1975   他

(文責:宮本知幸)

 

安福寺横穴群

安福寺壁画1

高井田壁画

安福寺横穴群 安福寺横穴群(北群第10号横穴) 高井田横穴群

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