ワインは、かつて軍需物資だった 第2次世界大戦中に大増産 - ワインの話 -

2014年8月11日 (文化財課)

 第2次世界大戦中、日本全国でワインが大増産された。ワインの醸造で得られる酒石酸(酒石酸カリウムナトリウム=ロッシェル塩)が、イヤホンやマイクなどの圧電素子として利用できたからだ。当時、通信機や聴音機の原材料として不可欠な軍需物資、それがワインだった。このため、当時ブドウの一大産地だった柏原市域でもワインが大増産されたのだ。大戦中の食糧難の時期、本来なら米やイモなどとは異なり、食料作物でないブドウは、作付け制限される運命にあったらしい。しかし、こうした理由で、市内のブドウの木は伐採を免れたという。もっとも、働き手が軍や工場に動員される中、人手不足でブドウの品質は低下していったらしいが。

  当時の柏原市内のワイン醸造量を見ると、昭和15年(1940)で約940キロリットル、12月に開戦となった昭和16年(1941)でも約990キロリットルにすぎなかった。それが、昭和17年(1942)には約1,520キロリットルと急増し、昭和18年(1943)には1,900キロリットルを超えている。昭和19年(1944)には、なんと、約3,310キロリットルものワインが醸造されている。

  この増産は、決して、ワインの愛飲家が増えたためのものではなかった。軍事上の要請によるものだったのだ。

  昭和20年(1945)には、8月に戦争が終わったためか、約190キロリットルに急減している。その後、昭和21年(1946)は約170キロリットル、昭和22年(1947)は約21キロリットル、昭和23年(1948)は約12キロリットルと激減していき、昭和24年(1949)には約1キロリットル余りしか醸造されていない。食糧作物でなかったためだろうか。それにしても、戦争前と比べても激しい落ち込みだ。終戦直後のこの時期は、軍需物資としての役割を終わり、清酒(日本酒)ほどの需要もなかったワインにとっては、受難の時代だったのかもしれない。

  ところで、酒石酸は、ワインを長く置いておくとボトルの底に結晶として現れることがあるという。これを「ワインのダイヤモンド」と呼ぶそうだ。

  酒石酸は、湿気に弱いため、現在では圧電素子としては使用されていないという。むしろ、清涼飲料の酸味料や染色などに使用されているらしい。

  かつて、日本で「ワイン」といえば、ポートワイン(甘味果実酒の一種)がそうであるせいか、甘い飲み物だと思われていた。本来のワインは、当時は「葡萄酒」と呼ばれ、一部の愛好家の嗜好にとどまっていた。

  日本でワインが広く飲まれるようになったのは、1970年代以降のことだとされる。国産ワインの醸造量が増え、それ以上に外国産ワインの輸入量が増えていった。ワインを飲むことは、今では特別珍しいことではない。それでも一人あたりの年間消費量は、現在でも2リットル程度(平成23年度で2.31リットル)にすぎず、フランスの約50リットルやイタリアの約40リットルはもとより、アメリカの約9リットルにも及ばない。日本国内の酒類全体の消費量に占めるワインの割合は、3パーセントほど(平成23年度で3.41パーセント)にとどまっている。

  ちなみに、現在、柏原市内で醸造されているワインは、単なる国産ワインではない。市内産のブドウを使った、純粋な日本のワインである。

  現在、日本でのワインの年間消費量は、約28万9,700キロリットル(平成23年度)。内、国産ワインは約9万3,000キロリットル(約32.2パーセント)にすぎない。しかも国産ワインの内、実に9割は輸入果汁なども原料にしているという。真の国産オリジナルワインは3~4パーセントにとどまるのが実情であるらしい。こうした中、柏原のワインは、柏原産のぶどうを原料として柏原で醸造されている。まさに国産オリジナルワインの名にふさわしい、ワインといえるだろう。

(文責:宮本知幸)

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